神社・古墳めぐり / 尾張の式内社めぐり / 浅井神社

浅井神社

中島郡内には式内社の「浅井神社(あさいじんじゃ)」は二社あり、一社は稲沢市浅井 、もう一社は一宮市浅井に所在したと推定されている。

まずは、稲沢市の浅井神社。

【所在】

稲沢市浅井町宮西305に鎮座する。

浅井神社は、一度廃絶していたが、天保11年に寺社奉行の命によって、復旧改称したとの記録があり、現在の浅井神社は、浅井の集落の東北端にある。

光堂川が集落の西を南下して、日光川に合流している。

古代の国分寺跡は、神社の南東2.5kmにある。

【祭神】

現在の祭神は、「小子部連鉏鉤(ちひさこべのむらじさひち)」とされているが、式内社としての本来の祭神は、明らかではない。

小子部連鉏鉤は、黒岩重吾著「古代史への旅 壬申の乱<勝敗を決めた鍵>」によると、壬申の乱の時、尾張の国司として中央から派遣されていた人で、二万の軍勢をもって近江朝につこうとしたが、土着の尾張連大隅は大海人皇子に味方するために統制がとれなくなり、結局、尾張勢は大海人皇子側についたため、乱の後、小子部連鉏鉤は自殺したそうだ。

稲沢は、国府宮があるように尾張国府のあった地で、小子部連鉏鉤が赴任していたところで、この地は彼にゆかりの地だろうか。

【由緒】

この神社は廃絶していたが、天保11年、尾張寺社奉行の命により、社号を復旧改称して、浅井神社を称する。

【社殿】

社殿は簡素な造りで、南南西向きに建つ。


本殿は、赤い屋根の流造りで、千木・鰹木が付く。


拝殿の鬼瓦には、「抱き茗荷」の紋が付く。


茗荷紋のもととなった杏葉は、大陸伝来の馬具唐鞍の飾りに起源があり、その装飾的な美しさから貴族社会では広く好まれた文様で、茗荷紋は日本十大紋の一つだそうだ。

【参拝記】

2010年4月18日、稲沢市の大塚古墳を訪ね、さらに西へ4kmほど、一色町中通町にある八剣神社を西端にして、そのあたりをぐるりと歩いた。

竹越中町の八剣社の手前の浅井町の新幹線の高架のすぐ西側に式内社の浅井神社があった。

社殿は簡素な造りで、本殿の脇に小さな社が左右にあり、他に境内社は二社あった。


それぞれの社名は表示されていなかったが、式内社調査報告によると、末社は、八幡社・白山社・天神社・秋葉社がある、としている。


神社のすぐ近くに、明蔵寺があり、三重塔があり、飛鳥のような雰囲気だ。